
喜多方市新宮熊野神社
AD1085年
源頼義、義家親子建立 |

熊野神社長床宝物殿
国指定重要文化財 拝殿
鎌倉時代初期 9X4間茅葺寄棟造り |

会津藩校日新館入り口
江戸時代全国300藩校の中で
規模内容共に随一、文武両道 |

山川健次郎顕彰碑
九州大、京都大、東京大学長
兄は山川浩(山川大蔵)京都守護職、
妹は捨松(大山巌室、津田梅子援助) |

会津藩什の掟
1.年長者の言う事に背いてはなりませぬ
2.年長者にはお辞儀を・・・・。3.・・・ |

日新館 中門 |

日新館素読所(学習所) |

日新館孔子像 |

日新館 弓道場
有料で弓矢を使わせてくれた |

野口英世青春館(幼名清作)
会陽医院跡 手の手術、そして勉励
人生を左右する師と友、恋人を得た |

浄土宗阿弥陀寺
明治戊辰戦争の死者1300人が
埋葬されている |

斉藤一の墓(新撰組隊士助勤)
三番隊隊長越後高田に幽閉後
斗南、上京し警視庁、西南戦争活躍
東京教育博物館奉職大正4年72歳没 |

御薬園 会津松平氏別荘兼庭園
沢山の薬草が栽培されているが前日の大雪で全ては雪ノ下
薬草園はこの池の右側。正面の御茶屋御殿内でお抹茶を頂いた。
秋風に 荷葉うらがれ 香を放つ おん薬園の
池を巡れば
与謝野晶子 |

大雪の翌日の会津若松鶴ヶ城
赤い瓦に交換完了直後 |

鶴ヶ城歴代城主 家紋の歴史
芦名、伊達、蒲生、上杉、加藤
保科、松平 |

鶴ヶ城同行者記念写真 |

荒城の月碑 天守閣近く堀の内
土肥晩翠作詞、滝廉太郎作曲 |

会津若松駅、白虎隊士銅像 |

会津若松市武家屋敷入り口
会津藩家老西郷頼母邸復元 |

会津武家屋敷西郷頼母邸 中庭
西郷四郎の柔道の銅像
姿三四郎のモデルと言う。
西郷千恵子辞世 右に表示 |

会津武家屋敷西郷頼母邸縁側より庭園
代々家老職を務め1700石取り
戊辰戦争で一族21名自刃
なよ竹の 風にまかする身ながらも
たわまぬ節のありとこそきけ |

白虎隊少年隊士慰霊碑 19士
1868/8/23この地にて自刃
一人飯沼定吉は蘇生し逓信省技師
陸軍大尉 昭和6年77歳没 |

会津殉難烈婦碑 戊辰戦役で
自刃又は戦死した婦女子二百余名の
霊を弔うため山川健次郎他篤志家
によって建立された。白虎隊墓地 |

ローマ市寄贈の碑 上部には飛び立つ鷹
ポンペイの廃墟から発掘された古代神殿の柱、「武士道の精神に捧ぐ」の文字は連合国軍によって削り取られた |

白虎隊士に捧げる詩 松平容保
幾人(いくたり)の
涙は石にそそぐとも
その名はよよに朽ちじとぞ思ふ |

飯盛山 さざえ堂
国指定重要文化財
昇降別々の階段のない螺旋形通路で
世界にも例がない 旧正宗寺 |

白虎隊十九士を祀った厳島神社
絵は白虎隊士自刃の図 |

戸の口堰洞穴 猪苗代湖から
取水しているこの堰を通って白虎隊士が
この中を命からがら逃げて来た |

剣舞「白虎隊」&「娘子軍」
解散前、食事時の剣舞で
全員が大感激。ついほろり |
1868/9/22会津若松鶴ケ城開城
前夜 山本八重(後の新島八重)
お城の壁に書き付けた詩
明日よりは
何処のたれが眺むらん
慣れしお城に残す月かげ |
中野竹子娘子隊隊長
1968/8/25戦死
竹子は敵を薙刀で倒した後
銃弾で頭を貫かれた。20歳没
戒名 美性院芳列筆鏡小竹大姉
薙刀に結び付けてあった辞世の句
もののふの
猛きこころに くらぶれば
数にも入らぬ 我が身ながらも
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